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《Yumi KatsuraのTalk Session》パリコレでショーを開催【桂由美氏×横畑早苗氏】

《Yumi KatsuraのTalk Session》パリコレでショーを開催【桂由美氏×横畑早苗氏】

 3月3日にパリコレでショーを開催する、アトリエ ナエ(nae. ATELIER・東京都渋谷区)の横畑早苗氏。ユニクロのデザイナーから独立後、知人からのウエディングドレス製作の依頼を機にドレスブランドとしての展開をスタートし、インスタを中心に人気を獲得してきた。パリコレで実績を重ねてきたドレスデザイナーと言えば桂由美氏だ。今号では横畑氏と桂氏の対談を通じて、デザイナーとしてのこだわりなどを掘り下げている。(対談実施日:2月10日)

元ユニクロのデザイナー

――横畑さんは3 月3 日にパリコレでショーを開催しますが、日本のウエディングドレスデザイナーとしては桂さんに続く2 人目の快挙となります。

横畑「今回のショーはプレタポルテで、これから期待されるファッションデザイナーという枠に入れてもらってショーを開催することになりました。桂先生の出ているオートクチュールは内容も違いますし様々なルールも多く、そちらには簡単に出られないからこそ凄いことと思っています。」

桂「私のパリコレのショーは、ブライダルではありません。実はパリコレの前にイタリアのファッション協会から誘われて、ローマで3年ほどコレクションに参加していました。世界で大きなコレクションと言えばやはりパリコレなのですが、そこで発表される多くの洋服はローマやミラノで生地を生産し、刺繍などをして作っていたものが多かったわけです。それもあって、パリに続く第2 のファッション都市としての地位を築くためのコレクションに誘われ、私もしばらく参加していました。その後パリに店を出したことをきっかけにパリコレに参加したわけですが、最初に組合長からは、Wドレスを数多く出すのであれば、ブライダルのイベントは別にあるからそちらでやるべきと。もともとパリの店はオートクチュールの洋服が中心だったため、店との整合性も含めて基本的にはウエディング以外のものを出し、今でも最後に数点披露するだけです。ところで横畑さんは、Wドレスの製作を若い頃から学んでいたのですか。」

横畑「大学を卒業後、服飾の専門学校に入り直して、新卒でユニクロのデザイナーとなり3年ほどカットソーのデザインを手掛けていました。その後独立したのですが、最初はカジュアルのブランド。2 年目に知人からの依頼を受け、初めてWドレスを作ったのが、ドレスサロンに移行するキッカケでした。それまでドレス製作を学んだこともなかったので、何が正しいのかもわからないままに独学で作ってきて今があります。カジュアルの服に対して、ドレスを作っている時の頭の使い方が違うと感じました。Wドレスは一生に一度の晴れの日のもので、明確に誰が着るのかもわかっています。作る上でもその人のためにとの想いがあり、それが素敵な仕事だと感じて2 年目からはブライダルに特化しました。」

桂「私は母が経営していた服飾学校で講師をしていたことから、当時日本にはなかったWドレスの製作を始めました。私自身は縫うのが下手で(笑)、その代わりに上手な人が周りにたくさんいたことから、私はデザインをして誰かに縫ってもらえばいいと思っていました。」

横畑「Wドレスを始めてから5 年間は、自分で縫っていました。私も縫うのはそんなに上手ではないです(笑)。今はプロにお願いしていますが、ただ自分で縫っていたことでドレスを学ぶことが出来たと思っています。例えばビスチェがどうなっているのか、寸法感も普通の洋服とは違いますし。どうやったらシャキッとするのかも分からなくて。縫っていくうちに徐々に学びながら、今の形に辿り着きました。最初から縫っていなければ、色々違っていただろうなとも思っています。」

桂「その通りです。私も何着か縫って、縫い方だけは徹底してスタッフ達にも教えました。当時、学校経営をしながらブライダルもと思ったときに、全てのことを自分でやるのは無理。店を展開しようと思えば、どこかの会社と手を組まなければならないですから。またブライダルは靴やアクセサリー、ヘアなど関連するものも多く、総合的にやっていかなければならない。それもあって初めは大手の百貨店に行って、全てをサポートするから日本初のWドレスの売り場を作ったらどうかと持ち掛けました。ところがその百貨店は婚礼呉服がドル箱であり、お色直しもない時代にドレスを売れば売上が下がると門前払いでした。そんなこともあって、自分で店を開かないとだめだと思ったわけです。」

 

ドレス着用が3%の時代

横畑「実はドレスの製作を始めた10年ほど前に、桂先生のドキュメンタリーの映画を見ましすが、とにかくWドレスと言えば桂由美先生だと思っていた時に映画が公開され、渋谷の映画館に見に行きました。」

桂「渋谷ですか!私も同じところに見に行きましたよ(笑)。ちょうどその時に東日本大震災に被災した新郎新婦の応援のため、仙台や福島など5 ヵ所で50組に対し、ドレスを着てもらっての公開結婚式をプレゼントしました。その模様を中心に、私のそれまでの経歴を映画にしたいとのことでした。」

横畑「映画を見て、改めて日本にブライダルの文化を根付かせたのだなと感銘しました。何もないところから、ここまで当たり前にしてきたのですから。」

桂「当時は3 %しかWドレスを着ていなかった時代です。最初にこの世界に入った時は、花嫁は振袖を着ているのに、花婿はモーニングコート。それは可笑しいから、どっちかにすべきと言っていたものです。当然ビジネスとしても魅力がなく、誰も手を出そうとしませんでした。そんな時代に生徒たちから、ドレスの店を作って、結婚式で着たいという花嫁を助けてあげればいいと言われたのが一つのきっかけでした。」

 (詳細はブライダル産業新聞紙面にて、2月21日号)