LISTEN to KEYMAN

キーマンに聞く

Special Interview~日本を代表するメートル・ドテル(レストラン タテル ヨシノ 支配人 田中優二氏)

Special Interview~日本を代表するメートル・ドテル(レストラン タテル ヨシノ 支配人 田中優二氏)

 サービスに興味があったわけではなく、なんとなく華やかさを感じてホテルに就職した」。そう語るのはレストラン タテル ヨシノの総支配人・田中優二氏だ。タイユヴァン・ロブションでの輝かしいキャリアを持つ一方、学生時代は“深く考えず”に過ごしてきた。社会人2年目に出会ったマネージャーの存在が、田中氏の考えや仕事へのモチベーションを大きく変えていく。インタビュー第1回目の今号では、憧れの人との出会いを通じて学んだチームワークの重要性を聞いた。

就職先は時期で選択

――2004年、クープ・ジョルジュ・バプティストで世界2 位、メートル・ド・セルヴィス杯では日本1 位と、サービスコンクールで輝かしい成績を残してきました。この受賞歴を聞くと、昔からホスピタリティ精神も強かったのではないかと。

田中「小学1 年生から、ずっと野球に没頭していました。高校3 年生でいざ進路を考えた時、明確にやりたいこともありませんでした。当時ホテルを題材にしたドラマを見ていたことから、なんとなく華やかな世界だろうと考え、専門学校日本ホテルスクールへの入学を決めました。」

――ホテルスクールといえば2 ヵ月×3 回のホテル実習で、現場スキルを積み上げるカリキュラムが有名です。

田中「3 回のうち配属されたヒルトン東京の中華レストラン『王朝』では、アルバイト期間も含め半年間働きました。そこで学んだのは『ヒルトン流』。ゲストに料理を出す際は必ず一皿ずつ。二皿一気に運べば効率もいいわけですが、それだとやり直しをされる。何度も怒られましたが、食事も本当に素晴らしく、色々な人との出会いもありました。研修後もアルバイトを続けたことを考えても、楽しく働けたということでしょう。」

――就職先として選んだのは、近鉄都ホテル(現シェラトン都ホテル)です。

田中「実習は勉強になり楽しかった思い出も多いですが、まだまだ当時はサービスへの意欲も薄ければ、何も考えていませんでしたね。都ホテルを選んだのも、学生最後の夏を謳歌したいとの想いから。他の企業は9月以降の面接だった一方で、都ホテルは6 月に内定が出るとの情報があり、『じゃあそこしかない!』と(笑)。学生時代の私は何も考えておらず、就職先も時期で選んだわけです。」

歩き方も美しい存在

――新卒入社後は、バイキングレストランとコーヒーショップに配属されました。

田中「野球を続けていたこともあり、体力には自信がありました。夜勤明けでもまだまだパワーのある年頃でしたから、六本木のカラオケ道場に通いつめ、チャンピオンを目指すのが当時の私の目標でしたね(笑)。言い換えれば、社会人になっても1 年目の私はまだ何も考えていなかったのです。」

――新卒入社から1 年後、フレンチレストランへの異動が決定します。ここでのある出会いが、田中氏に大きな影響を与えたと聞きました。

田中「当時のマネージャー・金子龍彦さんが、当時の甘かった私の考えを変えてくれたのです。金子さんは一言で言うと、とにかくかっこいい。自身の顧客を抱えているわけですがメニューはあえて見せずに、これまでの予算感や何を食べたいかをヒアリングして提案できる素晴らしい人でした。お客様も実際に、そのやりとりを楽しみに来店していたのです。当時の日本ではチップは不要との認識がすでに一般的でしたが、金子さんの顧客はチップを置いていく。そうした観点から見ても、サービススキルは誰しもが認めていたと言えるでしょう。顧客の前で料理を切り分け盛り付ける『デクパージュ』に始まり、タキシードの着こなし、歩き方、立ち居振る舞いなど、男性から見ても全てがかっこよくて、憧れの存在。スパゲッティとコーヒーを提供することしか知らなかった当時の私にとっては、全てが衝撃だったのです。」

(詳細はブライダル産業新聞紙面にて、2月21日号)