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キーマンに聞く

Talk session〈デザイナーズ・ルーム〉前編 ~YOKO YAMASHIRO Designs CEO 山城葉子氏×ホールデザイン 代表取締役 杉山敦彦氏

Talk session〈デザイナーズ・ルーム〉前編 ~YOKO YAMASHIRO Designs CEO 山城葉子氏×ホールデザイン 代表取締役 杉山敦彦氏

 ホールデザイン(東京都目黒区)杉山敦彦社長が、業界で活躍するデザイナーとブランディングなどをテーマにトークセッションする本企画。第2弾の今回は、Y O K O Y A M A S H I R ODesigns(東京都渋谷区)のCEO山城葉子氏をゲストに迎える。共にPlan・Do・See出身で、当時から親交のあった2人。THE TREATDRESSING(以下トリート)の立ち上げ、成長過程において、どのようにブランドを確立してきたのか。山城氏がこだわってきた世界観とは。企業、ショップブランディングの神髄を、2回にわたって紹介していく。

コンセプトに合うドレスを

――二人ともPlan・Do・See(以下PDS)出身で、共にデザイナーとしてブライダル業界で高い注目を集めています。

杉山「山城さんがトリートという人気ブランドを、どのように作ってきたのかに興味がありますね。もともと、ブランディングの勉強などは?」
山城「全くしていません(笑)。当時のPDSは、各店舗でPR、セールスプロモーションを対応していて、クオリティに差がありました。これを統一しようと、本社でクオリティコントロール室を立ち上げ、その部署に召集されたのがブランディングに携わるキッカケでした。ただ、担当になったものの、まだ20代半ばでしたし、全く知識もない中でのスタートでした。」
杉山「そもそも、ブランディングという言葉を使っていなくても、自然とブランディングができていた。それがPDSの強みだったと感じています。」
山城「どこから着手していけばいいのかも分からなかったのですが、まずは全店のカタログを統一。ワキリエさんと全国を回って撮影しながら、【PDSのウエディングとは】というカタログを作りました。また、フェアのクオリティにも差があったのでそれもまとめていきました。卓上花を制作、ペーパーを一からデザインすると共に、コンセプトも作っていきました。例えば春の商戦はこういうコンセプトにしようとなれば、そのテーマに合ったアイテムをパートナー企業に作ってもらっていったわけです。」

―― その流れから、衣裳に着手していったのですか。
山城「様々なアイテムの中で、衣裳だけはドレスショップが用意しているものしかありませんでした。自分たちで作ったコンセプトに合わせるには、やはり買い付けから行かないと改善が難しかったわけです。そこでウィズザスタイルの立ち上げに合わせて、福岡で一からドレスショップをやろうということになり、私がその担当に。₁ 年間ドレスショップに出向してイロハを学びながら、トリートの立ち上げを進めていきました。」
杉山「自ら立ち上げを進めていく上で、ブランディングは大切です。つまり、この時の経験を通してブランディングを勉強していったということですね。」
山城「この出向の時期は、PDSの総会などにも呼ばれず、完全にパートナー扱い(笑)。もっとも、自分はこのポジションでやるという覚悟を決め、誰かに助けてもらうという発想もありませんでした。土日は現場で勉強、平日はどんなお店にしたいのかを企画する毎日。自分で海外に行って、欲しいブランドも探しました。いいブランドがあれば交渉する。海外のルートを作るためには、それこそ毎月行かないと信用してもらえないわけです。アメリカ人と交渉しても、そもそも福岡がどこにあるのかも知らず、何でそんな知らないエリアに自分のドレスを置かないといけないのかと言われたことも。しかもたった1店舗ですから、購入できてもせいぜい5 ,6 枚。デザイナーからは50枚は買ってくれなければ話にならないと断られるなど、苦労したこともありましたね。」

――立ち上げまでは孤独な闘いだったのですか。
山城「もう一人PDSにいたスタッフと一緒に始めたのですが、彼女は人事などのソフト面を担当。ハードの部分は全て私が対応していました。それこそ、HP制作会社も自分で探してくるという状況でしたから。」

立地も世界観から決める

杉山「そもそも事業を立ち上げる際には、経営者が自らの想いをストーリー化し、形にしていくわけです。誰かと一緒にやるとその想いに違いが生じてしまい、結果としてブランドが明確化できないという可能性もあります。その点、一人ですべてを決めていくというのは大変なことも多かったでしょうが、ことブランディング面では非常に良かったとも考えられます。」
山城「ザ・トリート・ドレッシングの名前も自分で考え、コンセプト、色合いなども決めていきました。コンセプトの一つとして【手に届きそうだけど、手に届かないものしか置かない】ことを決めました。例えばショップで使う食器一つにしても、日本で売っているものを使えば誰でも手に届いてしまう。そこで海外に行き、ホームセンターやアンティークショップを回り、思い描く世界観に合ったものを探しました。店の音楽、飾る花も同様。このコンセプトに基づき、世界観を一つずつ積み重ねていったわけです。また、カラードレスは海外で売っていないため、【手に届かないもの】を揃えるには、自分で作らないといけなかったわけです。初めはデザイン画も書けなかったのですが、中国の工場に行って、海外のドレスの写真を見せながら、こう作ってほしいと交渉もしました。店作り、ドレスも含めて好きな世界観を積み重ねていくことがブランディングであり、この時期にいい経験をさせてもらったと思っています。」

(詳細はブライダル産業新聞紙面にて、3月21日号)