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【SPECIALインタビュー】レコード大賞受賞曲の作詞家が語る(作詞家 前田たかひろ氏)

【SPECIALインタビュー】レコード大賞受賞曲の作詞家が語る(作詞家 前田たかひろ氏)

 音楽著作権の適正利用は、その音楽が出来上がるまでに関わってきた作詞家、作曲家、編曲家、音楽出版社など多くの人の権利を守ることでもある。ここでは、実際に楽曲制作の担い手である作詞家前田たかひろ氏のインタビューを紹介する。作詞家として認められ、製作した楽曲が世に出るまでにどれほどの苦労があったのかは注目だ。

――作詞家になろうと思ったきっかけは。
「高校時代から、友人のために歌を作っていました。ある日、電話帳を見ていると、近所に作詞家の来生えつこさんが住んでいることを知りました。そこで直接電話をして、自分の作った詞を見てほしいと頼んだのです。すると、添削をして返してあげると住所を教えてくれました。その時に高評価を受けたことで、作詞家の道を志しました。」
――来生さんから、作詞には人生経験が大切だと教えられたそうですね。
「当時は高校生で18歳でしたが、作詞家になりたいと言うと、30歳まで我慢できるかと聞かれました。30歳までの人生経験が作詞には大切だと。大学に行ってからも、詞を見てもらい、弟の来生たかおさんの運転手兼付き人なども務めました。その後は、アルバイトをしながら音楽関係の仕事をしていました。ある時、オロナミンCのCM楽曲のコンペの話を聞き、挑戦してみたところ、採用されることになりました。その時は、これから作詞の仕事が順調に来るだろうと思いましたが、現実は甘くない。CDは全く売れず、仕事も全然来ない。途中、結婚もしたのですが、アルバイトで生計を立てるような状態でした。」
――転機は、小室哲哉さんに認められたことですか。
「当時、東京パフォーマンスドールの詞を書いていました。彼女達がレギュラーを務める番組が決定し、その主題歌を小室さんがプロデュースすることに。作詞はコンペで決定するとのことでした。放送作家の後押しで私も入れてもらえた。そのコンペで、小室さんから認めてもらい、今後も頼むからと。それ以降ですね、作詞で食べていけるようになったのは(笑)」

――先日引退を発表した、安室奈美恵さんのDon’t wanna cry も作詞しています。この曲は、ミリオンを達成し、日本レコード大賞も受賞。時代を席巻した小室プロデュース楽曲の作詞の仕事とは。

「私が今でも自信があるのは、書くのが早いこと。何しろ小室さん自身が非常に多忙であり、それに対応するため自然と早くなりました。小室さんからスタジオに来てほしいと言われて行ってみると、すぐに作らないとリリースが間に合わないという状況。ところが、まだドラム、ベースなどのリズムを打ち込んでいる段階。それを聞かせて、【何か出来た?】と聞いてくるわけです。メロディを打ち込むのと同時進行で、詞を作ったこともありました。」
――こだわりとは。
「詩人と作詞家は違います。作詞は、音楽があって初めて成り立つわけです。J-POPのメロディは洋楽に近いわけですが、英語の詞だとかっこいいのに、日本語にするとビートを損ないカッコ悪くなるのは絶対に嫌だと。例えば最高だと思っている5文字の言葉があるとします。ただ、ビートを崩さないようにするには4文字にしなければならない。だとしたら、もっといい4文字の言葉を作り出す。それが作詞家のプライドだと考えています。」
――作家としての権利に関してはどう考えますか。
「自分が作ったものに対するプライドはあります。基本的には好きで作っているわけですが、その詞には私自身の53年の人生の時間が詰まっていると考えています。そのこだわりを権利という形で守ってくれているのがJASRACかと。私たちの仕事は、人に聞いてもらってなんぼです。そこには【ナンボ】というお金が発生します。それが権利ということでは。」
――ブライダルシーンで音楽を使ってもらうことをどのように感じますか。
「キーワードは思い出ですかね。何でこの曲じゃないとダメなのか。カップルの思い出があり、その楽曲が唯一無二になっているわけです。その意味では、一世一代のシーンで、自分の作ったものが選ばれるというのは、嬉しいですね。」